Voices from the outer space |
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で、今回 「パーキンソンの凡俗法則」 というのを知るに及んで、ようやく納得がいったのである。ちょっと Wikipedia から引用しておこう。
原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。(中略) このため審議は 「着々と」 進むことになる。
この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、(中略) 次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。
なるほど。人間というのは、理解できないことには口をつぐむが、次の話題が急に身近なものになると、その反動のようについ口を挟みたくなるもののようなのだ。このことについては、「Koeだめ」 というブログにおもしろい指摘があるのを見つけた。(参照)
例えば、メインの難しい議論には中々加われなくて大変申し訳ない気持ちになった、という経験はよくあるかと思います。この時どう考えるか。「せめて自分の加われる範囲は積極的に発言しよう」 こう考えるのではないでしょうか。
かくして、自転車置き場の修理の話のような些細な議論に皆が発言し、紛糾してしまうという、残念な結果になってしまうという訳です。
なるほど、これはある種の責任感からくるものだったのか。余計で過剰な責任感なんだけど。
ならば会議の主催者はこれを、案件を通すためのテクニックとして使えるだろう。どうしても通したい重要案件は、専門家を呼んできて、むずかしいテクニカルターム満載ながら印象としては至極もっともらしい説明をしてもらい、誰もよくわからないうちにシャンシャンシャンで議決してしまう。
ところが、それだけだと会議の参加者には漠然とした不満が残るので、別にどうでもいい案件を用意しておき、どうころんでも別に大した違いのない次元で思いっきり熱い議論を展開し、しっかりガス抜きしてもらう。こうすれば、参加者たちは非常に民主的な会議に参加したように錯覚して、満足して帰ることができる。
多分、こうしたテクニックはあちこちで使われているのだろう。だまされないように気を付けなければならない。
"「自転車置き場の議論」 というもの: tak shonai’s “Today’s Crack” (今日の一撃) (via atorioum)
2010-11-18 (via gkojax-text)
(via miscforseek)
gkojax-text)面白い。使ってみようかw